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安田理央のニッポン巨乳史研究室

  • 2016年10月21日

 おひさしぶりです、というか、おそらくはじめましての方が多いのではないでしょうか。ライター/アダルトメディア研究家の安田理央です。実は、この東京トップレスが開設された1995年当初「CLUB RIO」というコーナーをやっていたんですよね。もう20年以上前の話ですね。月日が流れるのは、早いものです。

 今年の春に「痴女の誕生」(太田出版)という本を出しましたが、これは日本のアダルトメディアが女性をどのように描いてきたのかという歴史を追ったものでした。そう、AVやエロ本などのアダルトメディアの歴史を研究するのが私のライフワークなんですね。

 そこで今度は東京トップレスのスタッフと共に「日本巨乳史」を完成させようという話になりました。

 浮世絵では、ほとんど乳房が描かれていないことからもわかるように、もともと日本では、乳房を性の対象と見る意識が薄かったのです。「大きなオッパイがエロい」というのは、戦後に西洋から輸入された感覚です。
 それがどのように日本に定着していったのかを調べていこうという試みなのです。

 
 ところが、実は私、巨乳マニアではないんですよね。むしろ微乳好きなくらいで(笑)。そもそも前作も「痴女の誕生」というタイトルなので誤解されましたが、特に痴女が好きというわけじゃないんですよね。
 だからこそ距離をおいて冷静に調査して書くことができるという面もあるのですが、リアルタイムで巨乳界の空気を感じていないという部分で苦戦しております。
 なので、ぜひ、巨乳には一言も二言もあるという皆様のお力をお借りできないかと。

 まず古参巨乳マニアの方々にお聞きしたいのは、90年代以前に「巨乳」好きのおかれていた立場です。
 どうも、1989年の巨乳ブーム以前は、「大きいオッパイが好き」というのは、あまり大きい声では言えないような状況だったように思えるのです。
 アイドルでも河合奈保子や榊原郁恵は、胸が大きいことをからかわれる扱いが多かったようですし、中村京子などの巨乳女優も、コミカルな扱い(牛の格好をさせられたり、女相撲取らされたり)ばかりされていたような気がします。
 この頃の思い出などありましたら、ぜひ教えていただければ。

 また、「巨乳」という表現が一般的になったのは、1989年の松坂季実子登場以降のようですが、それ以前にもちょこちょことは使われています。
 Wikipediaには、1985年に日本公開された洋ピンのタイトルで『マシュマロ・ウェーブ/巨乳』として、使われたのが最初の使用例と書かれていますが、「BACHELOR」の1984年10月号の米GENT誌の紹介記事で巨乳の表現を発見しました。このように1984年以前で、「巨乳」の使用例をご存知の方がいらっしゃいましたら、報告いただけるとありがたいです。
 同じように「Dカップ」を性的な表現として使ったのは、1980年のバチェラー増刊号「D-CUP」が最初だと思われるのですが、それ以前の使用例をご存知の方は、ぜひ教えてください。

 というわけで、このコーナーでは、私の研究の途中経過を報告しつつ、みなさまからの情報を募集し、それも発表していきたいと思っております。力を合わせて、「日本巨乳史」を完成させていきませんか?

 すべてのメールの宛先は
rio@loveforsale.jp
題名は「巨乳史研究」にして下さい。

 では、よろしくお願いします! 

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