「エロ系ライター」安田理央 Presents
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燃えよカン松~AVの彼方へ~

80年代末から90年代初頭にかけて、僕はビデオ業界誌の編集部でバイトをしていた関係で、浴びるようにAVを見ていた。AV黄金期といえる時代だ。素晴らしく可愛らしい単体アイドルも次々とデビューしていたが、僕が気になっていたのは彼女たちの名前よりも、一部の監督の名前だった。ゴールドマン、バクシーシ山下、平野勝之…、そんな強烈な個性を持った新進監督が次々とデビューして来たのだ。彼らの作品を見るたびに僕は思ったものだ。

「AVってこんなことができるんだ。こんなことをやってもいいんだ」

さながら映像実験室のようだったゴールドマン、暴力的なドキュメントを連発する山下、血とウンコにまみれて暴走する平野。そうした監督たちに比べると、カンパニー松尾の作品は物足りなく感じた。

当時のカンパニー松尾は、AVアイドルを可愛らしく、綺麗に、そしてちょっとおセンチなタッチで撮影する、そんな監督だった。ポップでカラフルなMTV的映像センスは少々気にはなったものの、彼の作品はこれまでのAVの文脈を一歩も出ていないように思えたのだ。思い入れたっぷりのテロップの嵐も、エロ雑誌のヌードグラビアに添えられたポエムと同じように、うざったいだけだった。

なんだよ、そんなのちっとも過激じゃねーよ、と。AVにおけるパンクムーブメントがその時、起きていたのだ。僕はただ暴れたくてライブハウスに通うパンクスのように刺激だけを求めていたのかもしれない。既成のAVの概念をぶっこわしているようなものじゃないと、認めない、みたいな。まったく頭の悪いパンクスそのものだ。

カンパニー松尾のハメ撮りものを最初に見たのはいつだったかは覚えていない。おそらく「私を女優にしてください」シリーズの初期の作品だったのだろう。驚いた。そこには暴力もウンコもないけれど、明らかに既存のAVとは違ったAVがあったのだ。

「私を女優にしてください」はカンパニー松尾の代表的なシリーズだ。AV出演を希望する全国の素人女性の元へ、松尾が8ミリビデオカメラひとつを抱えて訪れ、その出会いとセックスを撮るというのが内容。待ち合わせの場所で落ち合い、話を聞き、一緒に食事をして、そして彼女の自宅やホテルでセックスする。メイクも音声さんもカメラマンもスタジオもなし。素人女性と松尾の一対一での勝負。

いや、それまでも一対一のハメ撮りを得意とする監督はいた。特に初期のゴールドマンはすごかった。ヒリヒリするような緊迫感。一対一ということは、他に逃げ場がないのだということを思い知らせてくれるようなハメ撮りだった。

対して、松尾のハメ撮りが追求していたのはリアリティだった。素人女性の演技ではない「素」の表情とセックスが撮りたいと考えた松尾が編み出したのが、カメラは回しっぱなし、ファインダーは覗かないという手法だ。つまり、できるだけ撮影=仕事という意識を女の子に抱かせないようにしたのだ。

そして、松尾自身がカメラを回し自らセックスをするということで、作品の私小説性がグンと高まっていた。松尾は以前にも男女の関係になった林由美香への思いを託した「硬式ペナス」など、私小説的なニュアンスを持った作品を撮ってはいたが、カラミは男優を起用していたために、いくら思い入れたっぷりのテロップを書こうが、どこか空々しく感じられた。結局のところ、監督が「神の視点」の位置にいるためだ。

しかし全編をハメ撮りで通した「私を女優にしてください」は、明らかに松尾が主人公である。他人が介在していないため、全ては松尾のフィルターを通した形で描かれる。カメラは松尾の視線そのものであるし、松尾がどう感じ、どう思ったかはテロップで伝えられる。つまり松尾は素人女性を撮っていながらも、実は自分を語っているのだ。

僕はこんなことを思っている…。そんなことをストレートに表現しているクリエイターは映像メディア全体を見渡しても、そうはいないのではないだろうか? ストーリーだの演出だのといったオブラートにくるまずに、自分が思っていることをテロップでポーンと提示する。恐らくハメ撮りAV以外では、安易すぎて、というか露骨すぎて使えない手法なのだと思う。

しかし、松尾の場合はそれがハマった。以前のテロップでは鬱陶しく思えた青くさい言葉のセンスも、素直に心に飛び込んでくるようになった。決して政治だの思想だの社会批判だのを声高に叫ぶことはないけれど、20代の青年が生活の中で感じるような違和感や男女関係の難しさを呟く。

自分の感じたまま、作品として、そしてエンターテイメントとして、ストレートに提示する。まるで、ロック・ミュージックのようだと思った。それもたった一人で作品を仕上げてしまうのだから、弾き語りだな。

「AVってこんなことができるんだ。こんなことをやってもいいんだ」

そして僕は、カンパニー松尾の熱烈なファンとなった。

カンパニー松尾は三十歳を目前にして、長年勤めていたAVメーカー、V&Rプランニングを退社し、フリーの監督となった。それから結婚して一女の父となった。

もうコドモじゃないんだ。本人がそう思ったかどうかはわからないが、フリーになってからの松尾作品は、微妙に作風が変わっている。開き直ったようにエロを楽しんでいたり、妙にしらけていたり。かつての青臭さは、すっかり影を潜めてしまった。

もう若くはない。ここ1~2年の松尾作品には、そんな諦観がにじみ出ている。自分よりも15歳も年下になる女の子との絶望的なコミュニケーション。年齢から来る様々なプレッシャー。自分はもう若くはないのだ。

松尾とほぼ同世代の僕などは、その諦観が、とてもリアルに感じられる。ファンと共に歳を重ねていくタイプのクリエイターなのだ、松尾は。40歳になった時の、そして50歳になった時の松尾の作品も見てみたい。例えば、自分の娘がAVに出演できる年齢になった時、彼はどう感じるのか、など…。

そして、こう思いたいのだ。

「AVって、こんなことまで描けるのか」


*「CONNECT」(CONNECT)5号より。

オシャレなカルチャー誌で、なぜかカンパニー松尾特集。表紙やグラビアは松尾さんのヌード! てなわけで僕も書きました。

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